お陰様で、娘が今年も無事に誕生日を迎え、4歳になりました。
夜、チャイムが鳴り、玄関に出てみますとお相撲さんたちが全員でお祝いを持って来てくれました。代表して八女の里と若箭原が選びに行ってくれたそうです。
皆んな、いつも優しくしてくれてありがとう。
お誕生日プレゼントはタオルセットでした!
お相撲さんたちの前では照れて緊張で固まってしまい喜びを表現できませんでしたが、お相撲さんたちが下へ降りると、とたんに大喜びで「うれしい。明日幼稚園へ持っていく。」と、制服のポケットに入れていました。
朝になりますと、「お相撲さんから貰ったタオルとお揃いにしたいから今日はエルサのマスクにするの。」と張り切ってエルサのマスクで登園しました。
よほど嬉しかったのだと思います。
家の中ではたくさん話しますが、人前ではとても口数が少なく、2歳から3歳になる頃は保育園に行っても一日中全く誰とも話さないこともあることを先生からお聞きし、どうすればよいのか答えが出ず情けない母として夜一人になると涙が止まらない日もありました。
自宅で「保育園楽しい?」とききますと「うん、楽しい。」と笑います。嫌がることは一度もなく登園します。
それでも、園では話し掛けられると下を向いて黙ってしまう、、、おとなしい子でした。
ずっとこのままだったどうしよう、と不安が押し寄せる中、ちょうど用事で自宅階に上がって来ました八女の里と若藤岡に、雑談の中で娘の状況を話し、小さい頃のことを訊いてみました。
この時、八女の里と若藤岡が話してくれた幼少期の気持ちに、私はとても救われました。
八女の里は、
自分も自分から話の輪の中に入るのが苦手だったということを話してくれました。
どうやって皆んなと話せるようになったのかを訊ねますと、「体大きいね。」と話しかけてくれた子がいたことが切っ掛けだったことを教えてくれました。
質問されて、自分はそれに答えて、、、そのうちに皆んなと普通に話せるようになりました、とはに噛むような笑顔で話してくれました。
若藤岡もまた、
自分も小さい頃、最初はクラスの皆んなとなかなか話せない日が続いたということを教えてくれました。そしてその後すぐに「それでもそれはずっと続くわけではなかったです」と。
2週間ほどで慣れてきてだんだん友達もできてきました、と穏やかな口調で教えてくれました。
人には、ペースがあるんだなとストンと焦る気持ちがおさまり、子どもの「マイペース」を見守ろうと思えた瞬間でした。
あの時の2人の言葉がなかったら、娘に対して無理に頑張らせようとしていたかもしれません。
感謝しています。
自然の流れで、3歳半頃から、お友達に自分から話し掛けられるようになり、4歳になった今は、お友達とお手紙交換をしたり、いつのまにか「〇〇ちゃん、バイバーイ」と大きな声で手を振って言えるようにまでなりました。
西岩部屋ができて最初の大阪場所。
娘はこの頃、1歳になったばかり。
この大阪場所のあと、東京に戻り、保育園に入園しました。
平日朝8時半から17時半まで預かっていただき、その間は部屋のことに打ち込めました。いつも子どもの成長は保育園のお迎えのときに貼り出されます「本日の写真コーナー」で確認していました。
写真の中から我が子をみつけ、その写真から我が子の感情を汲み取り、想像して、安心を得る日々を過ごしてきましたことを、このブログに重ねています。
泣いていた娘を、躊躇せずすっと抱っこしてあやしてくれた入門したての若松永。
本当に皆んなに感謝です。
大切な人生の一部を西岩部屋に費やしてくれているお相撲さんたちと、これからも一緒に成長していけますことを幸せに思います。