残暑お見舞い申し上げます。
西岩部屋の最初の夏です。
親方と若野口は夏巡業へ、
浅草の西岩部屋は、10代の相撲教習生たちと私のみの生活となりました。
何をするにもまだ半人前な教習生たち。
私も相撲部屋を一人で切り盛りできる器ではございません。
"子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの"
このような言葉もあるのですから、まあゆっくりやっていこうと思っておりました。
ですが、結果から申しますと、それはそれは厳しい夏となりました。
若中谷(18)、若藤岡(15)、若松永(15)、若小菅(18)、若小山(16)
教習生たちは、おかみさんいつも怒っていたな、口うるさかったなというのがこの夏の印象でしょう。
厳しい夏になった理由、それは親方からの一通のメールでした。
下記はそのままの文章です。
『野口は今巡業で揉まれてます。朝早く起きて、稽古して、俺のスーツケース持って、自分の大きなカバン持って、走り回ってます。移動のバスはいつも通路の補助席です。昼弁当は廊下に座って食べます。どこへ行っても一番後輩で番付は一番下。朝から毎日100回以上先輩方に挨拶し、ホテルでも先輩に気を遣いながらご飯食べたり、寝たりしてます。休まる時がなく辛いけど、いい経験を積んでいると思います。一回りもふた回りも成長して部屋に帰ると思います。』
若野口の過酷さはメールに添えられた写真からひしひしと伝わってまいりました。
大部屋で皆んなを集め、読み上げました。
兄弟子の若野口がこれだけ頑張っている。
弟弟子たちにも付け人として巡業に帯同する厳しさを知ってほしい、そう思い、毎日『今日の若野口』という報告会をすることにしました。
大部屋で円になって座り、親方から届く若野口の様子をみんなで見ることが日課となりました。
「今日の若野口、4:30起きで5:15のバスに乗ったんだって。みんなより早い時間に起きてるんだね。」
写真も毎日みんなで見ました。
西岩部屋の最初の夏です。
親方と若野口は夏巡業へ、
浅草の西岩部屋は、10代の相撲教習生たちと私のみの生活となりました。
何をするにもまだ半人前な教習生たち。
私も相撲部屋を一人で切り盛りできる器ではございません。
"子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの"
このような言葉もあるのですから、まあゆっくりやっていこうと思っておりました。
ですが、結果から申しますと、それはそれは厳しい夏となりました。
若中谷(18)、若藤岡(15)、若松永(15)、若小菅(18)、若小山(16)
教習生たちは、おかみさんいつも怒っていたな、口うるさかったなというのがこの夏の印象でしょう。
厳しい夏になった理由、それは親方からの一通のメールでした。
下記はそのままの文章です。
『野口は今巡業で揉まれてます。朝早く起きて、稽古して、俺のスーツケース持って、自分の大きなカバン持って、走り回ってます。移動のバスはいつも通路の補助席です。昼弁当は廊下に座って食べます。どこへ行っても一番後輩で番付は一番下。朝から毎日100回以上先輩方に挨拶し、ホテルでも先輩に気を遣いながらご飯食べたり、寝たりしてます。休まる時がなく辛いけど、いい経験を積んでいると思います。一回りもふた回りも成長して部屋に帰ると思います。』
若野口の過酷さはメールに添えられた写真からひしひしと伝わってまいりました。
大部屋で皆んなを集め、読み上げました。
兄弟子の若野口がこれだけ頑張っている。
弟弟子たちにも付け人として巡業に帯同する厳しさを知ってほしい、そう思い、毎日『今日の若野口』という報告会をすることにしました。
大部屋で円になって座り、親方から届く若野口の様子をみんなで見ることが日課となりました。
「今日の若野口、4:30起きで5:15のバスに乗ったんだって。みんなより早い時間に起きてるんだね。」
写真も毎日みんなで見ました。
この質問で「相撲です」では、西岩親方は「それだけか?だったら違う」と言います。
「相撲と、相撲部屋の生活を学びに。人として成長するために。」
こう思って欲しいと普段から教えています。
親方が不在の間、相撲の稽古は、相撲教習所の先生方が御指導くださいます。
私が教えられることは、相撲部屋の生活です。
親方、若野口、若佐竹が部屋に帰ってきたとき、成長に驚いてもらえるように、兄弟子たちが留守をしている今が成長するチャンスです。
"おかみさんは部屋のナンバー2ではない"それだけは勘違いしないように、と親方より常日頃言われていますが、親方が居ない場合は、使者として親方の言葉を伝えなければいけません。
洗濯物を干す場所など、部屋の規則も何度も何度も繰り返し注意しました。
嫌われるのが怖いなあと思うと、叱りながら涙が出ることもあります。
「相撲と、相撲部屋の生活を学びに。人として成長するために。」
こう思って欲しいと普段から教えています。
親方が不在の間、相撲の稽古は、相撲教習所の先生方が御指導くださいます。
私が教えられることは、相撲部屋の生活です。
親方、若野口、若佐竹が部屋に帰ってきたとき、成長に驚いてもらえるように、兄弟子たちが留守をしている今が成長するチャンスです。
"おかみさんは部屋のナンバー2ではない"それだけは勘違いしないように、と親方より常日頃言われていますが、親方が居ない場合は、使者として親方の言葉を伝えなければいけません。
洗濯物を干す場所など、部屋の規則も何度も何度も繰り返し注意しました。
嫌われるのが怖いなあと思うと、叱りながら涙が出ることもあります。
「ちゃんこの片付け終わりました」
見に行くと...
「どうしてこんなに散らかしたままなの!!」
今では毎日とても綺麗になりました。
綺麗なことが習慣になりました。
いつ親方が帰ってきても大丈夫です。
いつ親方が帰ってきても大丈夫です。
次はちゃんこ作りです。
名古屋で親方が一人一人にノートを用意して、ちゃんこ番はそのノートに親方が口頭で伝えたことを書いていく、という形をとりました。
ノートを見返せば、その料理の材料、分量、作り方、全員がわかるようになっています。
兄弟子のいないちゃんこ場で、若中谷が班長になり毎日全員がちゃんこ番として、ちゃんこを作ります。
【ハンバーグ】
空気を抜いて、
形を作り、真ん中を凹ませます。
ソースも自分たちで調合します。
何がどれだけ足りないか、みんなで味を覚えてほしいと思い、時間はかかりますが、何をするにも全員で。
交代しながら焼きました。
とても美味しくできました。
【ポテトサラダ】
玉子たっぷり、とても美味しくできました。
みんながちゃんこ場に入り役割分担しながら、次は鍋を作ります。
【豚チリ鍋】
野菜の切り方、野菜を入れる順番、親方に言われたことをしっかりと実践できています。
【マグロの漬け丼】
海苔を出来るだけ細く切ってくださいと言いましたが...太くてかわいい刻み海苔になりました。
【キムチチゲ】弟弟子に教えながら作っていました。
こちらもとても美味しくできました。
【素麺】
上蓋が釘で留められていた為、「金槌の釘抜きを使って開けましょう」と言おうとしましたら、
若中谷が、
手で開けてしまいました。
【カレー】
【焼きうどん】
いろんなものが作れるようになりました。
「8月7日に、一時帰宅することになった。その日の夜は部屋で食べる。メニューも材料も何も指示は出さない。鍋ともう一品、自分たちだけで何を作るか決めて、用意しておくように。」
みんなが慌てます。
さあ、その日に向け、より一層頑張らなくては。
前日、メニューが決まりましたと若中谷が報告に来ました。
親方が好きなキムチチゲ、先日美味しくできたポテトサラダ、そしてもう一品、素麺も足すそうです。
当日ばたばたしないように買い出しももう済ませたいとのこと。
気合いは十分です。
いよいよ、当日を迎えました。
私は一切ちゃんこ場へ行かず何も手伝いませんでした。
親方と若野口が帰ってまいりました。
親方と若野口が、先に箸をつけます。
みんなでちゃんこを囲み、若野口の巡業話に耳を傾け、和やかな時が流れます。
「ちゃんこは少し味噌が足りない、ポテトサラダはじゃがいもが少ない。でもお前らの作ったものだから美味しい。」
親方はそう言って嬉しそうに目尻を下げ、一度もお箸を置かずに全部食べました。
10代の相撲教習生たちだけでここまで出来るようになりました。
力士になっていなければ、今頃夏休み真っ最中です。
プールに行ったり、ゲームをしたり、自由に過ごしていることでしょう。
それが、相撲部屋に入門してまだ半年未満の子たちが、料理を覚え、洗い物も手際よく出来るようになり、ちゃんこ場はいつもしっかりと掃除して、とても綺麗に片付けてくれます。
いろんな我慢を覚え、仲間と協力しながら頑張ること、助け合うこと、共に切磋琢磨し成長すること。
これが西岩部屋の生活です。
この夏、みんな本当に成長しました。
自信を持ってくださいね。
自信が更なる意欲に繋がりますように。
親方と若野口はまたすぐに巡業地へ戻りました。
翌朝6時、教習生たちは、いつも通り相撲教習所へ。
厳しい規則の中に、
日々の努力の中に、
大きな夢を輝かせてください。