西岩部屋おかみさんブログ

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2021/11/22 いい夫婦の日

11月22日

「いい夫婦です。」
とはまだまだ言えませんが
本日は
人生を変えてくれた親方に
心の中で感謝を伝える日であります。

今日は、私事で恐縮でございますが
自身の結婚から今日までを
振り返りたいと思います。




お相撲さんの妻になることに
何の下準備もありませんでした。

肩書きもなく
本気で頑張った何かもなく
何となく生きてきた自分が
「関脇若の里」との結婚によって
初めて人生に躓き
身の程を知り
腐り
情けないほどに
迷惑を掛ける結婚生活となりました。


28歳。
角界がどんなところか全く知らず
結婚イコール幸せの始まりと
簡単に考え嫁入りしました。
若の里は27歳
関脇でした。


お着付けも出来ないの?
お花も生けられないの?
ナマコとアワビの下処理
まだできないの?
彩さん大学はどちら?
京都だったら
京大かしら?同志社かしら?
え?高卒?
またまたご謙遜を。

陰では
、、、お里が知れるわ。
、、、片親ですものね。

今まで言われたことのない
厳しい言葉の数々でした。
若の里の妻として
誰かに会うたびに恥をかきました。
周囲からの洗礼に
頭が真っ白になり
顔は真っ赤を通り越して
真っ青になる日々でした。

これが大相撲の世界か。

20歳そこそこの若さであれば
知りません教えてください
と言ってよいのかもしれません。
私はもう28歳。
花嫁修行をしてこなかった後悔
言われたことだけでも
毎日頑張らなくてはという焦り
泣いても解決しませんが
泣いてばかりでした。
遂には
ここまでしないといけないのか
私は元々そんな出来た人間ではない
今までこれで生きてこられたのに

そのような反発心まで生まれ
少々顔に出ていたと思います
よく叱られました。

ご挨拶に伺う際の服装
襖の開け閉め
お辞儀の角度
部屋に行くたび私は
注意を受けてばかりでした。

こう言ってはなんですが
私を毎日のように叱るおかみさんは
叱るだけあって
何でも完璧に出来る人でした。
本当にかっこいいのです。

私は出来ないから怒られるのです。
やらないから出来ないままであることを
見透かされていることに気づかず

怒られたことに対してだけ
悲観になっていたのです。

「あなたは若の里の奥さんなんだから。
期待しているから教育してるのよ。」
いつも最後にそう言ってくれていました。
その頃はその一言が素直に
頭に入ってきませんでした。




ずっと黙って謝り続けて
耐えてきましたが

ある日
体中に発疹ができ
顔や頭皮もピリピリと腫れあがり
もうどうすることもつらくなり
気持ちがプツンと切れ
夜中にジャージのまま犬だけを連れて
車で京都へ帰りました。

東京での生活は
4年しかもちませんでした。


32歳。
一人暮らしをしながら
近所の食堂でアルバイトをし
このままでいいわけがないと
将来を見つめ直しました。

京都で身の丈に合った生活をするか
もう一度
東京で頑張るか。

毎日毎日考えて
東京に戻りたいと答えを出しました。

夫婦が離れて暮らすことは
離婚しているのと変わらないと
思ったからです。

尻尾を巻いて帰ってきた時点で
私は負け犬です。

ただでは東京へ戻れません。
マイナスからどうすれば
同じ場所へ戻り受け入れて
もらえるのか。

最低限のことは出来るようになろうと

33歳から
着付け、調理師免許、数々の資格を
取りました。
それは私の鎧となり
自信にもなりました。

35歳からは大学へ。

学歴コンプレックスを克服する為だけに
入った大学でしたが

若の里からは
『なにくそ精神は、曲がった強い力』
そう教えられました。
やりたいからやる。
それなら応援するよ、と。

大学で出会った先生からは、
『知識は武器になる。
年齢は関係ない。』
という言葉を教わりました。

人の話に素直な気持ちで耳を傾け
よく聞く。

それだけで
学歴云々よりも学ぶ楽しさを
知りました。




そんな中
ある年のお正月に

田子ノ浦親方や行司の隆男さん
相撲部屋の皆さんが
「元旦は彩さんも一緒に迎えよう
どうですか」と
若の里に声を掛けてくれました。

きっと頃合いを見ていてくれて
きっかけを作ってくれたのです。

とても嬉しかったのですが
不義理なことをした自分には
合わす顔もなく
まだ申し訳なくて行けませんでした。

そしてあれよあれよと
39歳になりました。

その年の夏
最後の最後まで単位が取れなかった
憲法の試験の結果が返ってきました。

「合格」

やっと卒業決定です。
35歳から挑戦した大学。
何度もレポートの再提出を繰り返し
挫けそうになりましたが

結婚後
何をやっても失敗し
「あなた何なら出来るの?」と
言われ続けた悔しい気持ち
情けない気持ちを
思い出しながら
自力で何かを達成したくて

レポートを人に借りないこと
卒業まで人に頼らず自力で成し遂げる。
どうせやるなら一つ一つの単位で
「優」をとる。

ここで自分を変えなければ
本当にクズになってしまうと感じ
頭から湯気が出るほど
毎日必死で勉強しました。

それは
若の里に常々
「人生すべてガチンコで頑張ってみろ。
そうすれば誰に何を言われても
自分は恥ずかしい生き方はしてないと
堂々と前を向いて生きられる。」

そう言われたからです。

高校生の時は数学で9点を叩き出し
夏休みも補習に通うほどの学力で
勉強なんて大嫌いでしたが
大人になってからの勉強は
それはそれは楽しいものでした。


4年半もかかりましたが
39歳で近畿大学法学部を卒業しました。
全てとはいきませんでしたが
ほとんどの教科で「優」
卒業論文も「優」をいただきました。
逆境に感謝です。


大学の卒業式を終え、間もなくして
若の里の断髪式でした。
断髪式の3日後には妊娠が判明。
慌ただしく早送りのような毎日でした。

高齢出産になるため
心配も多くありました。
とにかく強い子に育って欲しいと願い
親方がまず連れて行ってくれたのは
どんな神様のところでもなく

白鵬関のところでした。

お腹に手をあてて欲しいと
恥ずかしそうにお願いする親方。
快く
「子どもは本当にいいですよ。
日本のお国のために
何人でも産んでください。」
優しく手をあて
白鵬関は微笑んでくださいました。

41歳で出産。
産まれてからも
娘は偉大な方々に
抱っこしていただきました。
プライベートでは貴乃花親方に
青森巡業では稀勢の里関に
お陰様で丈夫な子に育っています。

翌年には西岩部屋始動。
親方は
先代鳴戸親方に教わったことを
なぞるように弟子たちへ伝え
自分流の現代の風も取り入れています。
私もその側に居て
過去を振り返り
先代おかみさんへの
深い有り難みを覚えます。

厳しさと優しさは
表裏一体。

おかみさんのもとで学んだことが
全てお手本として
体に染み付いています。
鍛えていただきました。
感謝しかありません。







九州にいる親方から、本日届いたお花です。
ありがとう!!





こちらの写真は
断髪式の準備期間の頃のものです。
亀戸駅すぐの雑居ビルの中の
小さなレンタルオフィスを借り
たった2人で
深夜までチケットの郵送準備や
事務作業をする日々でした。

たまに
帰りにビール片手に
ホルモン焼きを食べながら
将来の話をする

生きていれば過去なんて
いろいろありますが
若の里を支えてくださった皆様への
若の里引退西岩襲名披露大相撲」を
感謝の気持ちを込め
夫婦で一緒に頑張る時間が
とても楽しかったことを
覚えています。
























ご縁あって西岩部屋に来てくれた
お相撲さんたちにも
人生をかけた「努力」の楽しさを
知って欲しいと願います。

何事にもガチンコで。

西岩親方の側に居ると
自然とそういう人間になれます。
夫婦という土台をしっかり組んで
これからも丁寧な相撲部屋を目指し
頑張ってまいります。