西岩部屋おかみさんブログ

大相撲西岩部屋の備忘録として利用しています。【公式twitter】https://twitter.com/nishiiwabeyaです。

平成31年大相撲初場所


無事に千秋楽を終えました。
新春、浅草では歌舞伎、両国では大相撲と、それは江戸時代に時間旅をしたような情景の中に在りました。

41代式守伊之助さんの「この相撲一番にて結びにござります」
初場所中日の天覧相撲にて、今が平成最後の初場所でありますことを実感する次第でございました。


親方は西岩部屋の若い力士たちに、平成の相撲史を語りながら、今場所は自身もいろんな想い出が込み上げてきた場所であったと思います。




若中谷
【4勝3敗】

現在部屋頭の若中谷、前相撲からここまで全て勝ち越しています。
場所中、熱戦の末、俵に体を打ちつけました。痛みを必死に我慢しながら花道を下がる若中谷を周囲の皆が心配しました。
もし骨などに損傷があれば、休場も免れないという事態でした。
部屋に戻り、「どうだ」という親方の問いに、若中谷は間髪入れずに「最後まで出たいです」と言いました。
検査の結果、幸い骨などに異常は見られませんでした。ですが、氷嚢で冷やしても冷やしても痛みがなかなか引きません。

そんな中、福岡のお父様から電話越しに檄が飛びました。

「最後まで出るなら、怪我で負けたと言うな、怪我で負けたと思われてもいけない。思いっきり勝負して来い。」

そのような内容だったと若中谷が教えてくれました。
頑張るほかない、若中谷はそう強く自分を奮い立たせました。

場所前、朝稽古もトレーニングも休んでいません。
夜も筋トレに励みました。
"稽古十分"です。気持ちの面で"稽古充分"と自信が持てましたら、上へ上へと駆け上がることができるはず。
周りは皆んなそう信じて押し上げてきました。

初場所10日目の正午前、若中谷と駅まで歩きながらゆっくりと話す機会がありました。
前日の9日目の相撲で、若中谷は3勝2敗と勝ち越しまであと一つの星となっていました。
そして10日目のこの日は取組が無く、朝稽古に勤しんでおりましたので、まだ部屋の皆んなの勝敗を知らないだろうと思い、駅まで歩く途中、若中谷に質問をしました。

「今日のほかの皆んなの結果はまだ知りませんよね?」
「自分は稽古してたのでまだ知りません。」
「結果を言ってもいいですか?」
「はい」
「中谷くんも含め、今日で西岩部屋全員が3勝2敗になりました!」

いつも冷静な若中谷が驚いた顔をし、少し興奮気味に口を開きました。

「え、もしかして西岩部屋全員勝ち越しも...」

そう言ってパッと明るい笑顔になったのです。
前向きな発言に嬉しくなりました。

『西岩部屋全員勝ち越し』
咄嗟にそう想像できるのは、きっと若中谷の心が上を向いて澄んでいるからでしょう。
3勝2敗で自分も含め6名が並んでいるのです。
人それぞれいろんな想いが浮かびます。
例えば、
"その中で誰が勝ち越すだろう"
或いは、
"自分だけが負け越したらどうしよう"
若中谷の想像は、そうではありませんでした。
自分も含め、皆んなの幸せを想像できる子なんだなと思いました。

部屋の皆んなはライバルではあるけれど、敵ではありません。
自分のことだけでなく、兄弟子や弟弟子の幸せも瞬時に想像する『プラス思考』は、目には見えませんが、勝負の世界でとても大きな武器になることでしょう。

若中谷は、14日目に西岩部屋で一番最後に勝ち越しを決めました。
自己最高位 東序二段4枚目での勝ち越しです。
自力充分、いよいよ春には足音が変わります。


若佐竹
【5勝2敗】

初場所4日目を終えた段階では0勝2敗の成績でした。
大部屋に貼ってあります西岩部屋の星取表を見つめる若佐竹。
ため息交じりに息を吐きながら、か細く「僕だけ真っ黒です」と無理な笑顔を作ります。どこまでもムードメーカーを務めてくれる一番弟子のお兄さんです。
その時は心配で心配でたまりませんでした。早く若佐竹に初日が出てほしい。その想いでいっぱいでした。

今場所は、夜、ちゃんこの片付けが終わりますと、門限まであと一時間もない日でも、着物に着替えて、自転車に跨り、大通りまで肩を揺らしながら急いで漕いでいく姿を何度も見ました。整骨院でマッサージなどをしていただいていたようです。
早い動きがとても魅力的な若佐竹の相撲。柔軟に見えますが、本人はきっと痛いところもあるのでしょう。
「大丈夫です」と笑顔で返す若佐竹を親方とともに見守る毎日でした。

また後半戦には、立ち合いが幾度と合わない日がありました。
気をつけるようにと親方はいつも言っています。若佐竹本人も土俵上で、"ああ、やってしまった"という表情で四方に頭を下げています。
取組後、帰りが少し遅くなる旨の連絡が入りました。

「審判部の親方に指導を頂くため、帰りが遅くなります。すみません。」

帰ってきてからも、玄関先で、一旦姿勢を正して「すみませんでした」と頭を下げました。その潔い姿勢にはしっかりと反省している様子が伝わりました。

「怒られてしまいました」ではなく、
「指導を頂きました」と受け止めていることに、
とても大人らしさを感じました。

こういう事がとても大事だと思います。
言葉遣いだけでなく本当にそう思っているから、その言葉が出ているということが、若佐竹の表情から読み取れました。
謙虚な姿勢で決して奢ることなく、後半、ぐんぐん調子を上げ、2連敗から5連勝をおさめました。

勝ち越した翌日には、「体を動かしておきたいので」と、夜、整骨院ではなく、稽古場に姿を見せた若佐竹。
一番でも多く勝っておきたいという気持ちの表れでしょう。
『負け越したあとが大事、勝ち越したあとが大事』
親方が普段言っていることをしっかりと理解し、実行しています。

次は地元大阪場所です。
皆んな待ってくれています。
大阪の土俵でも若佐竹らしく大暴れしてください。


若野口
【4勝3敗】

この初場所、親方が一番褒めた力士です。
九州場所から続けている夜の筋力トレーニングを、初場所中も一日も欠かしませんでした。
夜8時半ごろになりますと稽古場にパッと明かりがつきます。
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ちゃんこ番の日も洗い物が終わりますとすぐに筋トレを始めていました。
誰かがいる日もあれば、たった一人の日もありました。
それでも、胸から汗が流れるまで黙々と続けていました。
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"こんなに努力する子だったかな"
"何があったんだろう"

そう驚くくらい若野口の意識は変わりました。
顔つきも凄く良くなりました。
原石が磨かれていく瞬間を見ているかのように、若野口の成長に感動してしまいます。

大きな目標を持って入門してきたわけではありませんが、入門後に、自分で自分らしさを見つけてどんどん変わっていく若野口。

初場所、勝った相撲は全て会心の相撲でした。
落ち着いて自分の相撲がとれていることを、親方は高く評価していました。

相撲の技術的なことはわかっていない私でもこれだけは言えます。
若野口は、初場所中、誰よりも長い時間、夜稽古場にいた力士です。
時間がないのは皆同じ。その中で時間を作り、継続してトレーニングを積むことは、相手のいない自分との闘いです。

やったことは全て自分に跳ね返ってきます。
良い勝ち越しでした。

そして勝ち越しが決まった日の夜も、若野口の姿は稽古場にありました。
もう今場所の相撲はないのになぜ?と驚きました。
習慣になったのかもしれません。
気を抜くことなく、立ち止まることなく、気持ちをもう大阪場所に向けています。

お給金の貯金も部屋の誰よりも多く貯まり、この場所後の休暇に、自分の携帯電話代を自分で払う手続きも行います。
まだ18歳ですが、自分をしっかりと持ち始めています。

若野口へ、
頑張ること、努力することは、我慢の連続です。それを感じとっているでしょう。
我慢を乗り越えれば、必ず得るものがあります。
強くなってくれば、"そうか、こういうことか"と解り、苦しい努力も楽しめます。
今のまま、真っ直ぐに伸びてください。
気が抜けて間違った方向に曲がりそうになった時は、厳しく正します。
どれだけ厳しく叱っても付いてきてくれる子だと、こちらも、もう信じきることができています。

私事になってしまいますが、この一年、若野口とは何度もぶつかりました。だからこそ可愛いのです。子育てとは、、、母と子の距離感とは、、、と、一番悩ませ、勉強させてくれる子です。
たった一年でいろんな事がありましたが、「おかみさんを悩ませ鍛えてくれてありがとう」という想いです。

千秋楽打上げパーティーで、舞台上で今場所の感想を述べ、埼玉を代表する力士になる、と宣言した若野口。その姿を優しい眼差しで見つめるお父様お母様の笑顔がとても印象的でした。


若松永
【5勝2敗】

西岩部屋初場所勝ち越し第一号でした。
大きく育った体でとにかく前へ前へ出る相撲は、見ていてとても気持ちが良いです。
その若くて思い切りの良い若松永の相撲に、まだお客様も疎らな国技館からも日に日に声援や拍手をたくさんいただくようになりました。
若松永も、若松永のお母様も、『応援してくださる方々のお陰』という言葉をいつも使われます。
受けたことには感謝の気持ちを持ち、人を気遣い優しく手を差し伸べる。
この事がまだ若い16歳の若松永は出来ています。

大部屋でのことですが、私が段ボールを抱えていてドアが開けられず、「松永くん、ちょっとドア開けてもらっていいかな」と頼みますと、若松永は「持ちます」とヒョイと段ボールを持って三階の自宅まで運んでくれました。
ドアを開けてほしいと頼まれ、ドアを開けるのではなく、それよりも、、、と自分の頭で考えた気遣いをしてくれた事に、とても感心いたしました。

またある日には、皆んなが飲み物の入ったコップを持って3階から2階に降りる際、ある力士が不注意で廊下にこぼしてしまいました。
私はその瞬間を見ていませんでしたが、声は聞こえてまいりました。
「何してんねん!あーあー、掃除しなあかんで」とやや強い口調で注意しています。声の主は若松永です。
私も廊下に出ました。
すると、服を濡らした力士が佇んでいました。そこに若松永と若野口が走ってきました。手には雑巾とクイックルワイパーを持っています。
あーあーと言った後にすぐに掃除道具を取りに行ってくれたようです。手際よくササッと掃除してくれました。
若松永は、人のことを放って置けない優しさを持っています。
言い方は強めなのですが、自分は関係ないからと見て見ぬ振りをせず、いつもお世話をしてくれます。
これから、ますます番付を上げ、弟弟子も増えてくれば、きっと良い兄弟子になるでしょう。
指導力があります。

勝ち越しがかかった取組の前日、若松永は夜、稽古場に降りてきました。
私もその場にいましたので、降りてきた理由を聞きました。
「野口さん毎日やってるんで。自分も今日はやろうと思いました。」
親方からの命令ではなく、兄弟子の背中を見て自発的に行動した若松永。
きっと、若松永もそういう兄弟子になっていくのでしょう。
勝ち越しを決めた瞬間、お母様は号泣したそうです。
次は地元大阪場所です。
入門から一年経ち、髪も伸びましたので髷も結います。
お母様は今からとても楽しみにされています。
胸を張って帰りましょう。


若小菅
【4勝3敗】

誰かと比べてしまえばまだまだなのかもしれませんが、若小菅だけをずっと見ている人にはきっとわかります。かなり力をつけています。
努力しています。
その努力を必ず誰かが見てくれています。
そして自分でもきっと気づいているはずです。
勝ったときだけでなく、勝てなかった一番でも、「あ、先場所よりも力がついている」と一番一番に手応えを感じていることでしょう。
その喜びを忘れないでください。
また次の場所に向けて努力をする肥やしにしてください。

お正月には、「当たり前のことを当たり前にできるように頑張ります」と抱負を述べました。
先日のパーティーでは、将来の夢を「強くて優しいお相撲さんになることです」と述べました。

若小菅の言葉は、柔らかいようで、とても深く、大事なところを突いています。

「まだ細い」「もっと食べなきゃ」と言われ、辛く感じることもあったかも知れません。そんなに焦らなくて良いです。親方はあなたの頑張りを全てわかっています。
そして、若小菅は若小菅だから良いということも、親方はいつも話します。

ある日私は、親方が運転する車の窓から、バス停にもたれ掛かる少年に目をやりました。
見た目100キロを超える丸々とした体型の少年を見て、「大きい子だね、お相撲したらいいのに」と冗談半分で親方に言いました。
すると親方は、太っているからと言って力士に向いてるということは無いという話をしました。
そして、しみじみと、「小菅みたいな体格の子のほうがいいんだよなー」と言いました。
余計な脂肪がなく、まだ何も手が付いていない体を、ゆっくりとしっかりと筋肉を鍛え上げながら成長させていきたいというのです。それが指導者としての醍醐味でもあると。

場所前、親方自ら、大きな手でおにぎりを握ります。
若小菅のための夜食です。これだけは私に代わってくれません。
親方は、毎晩、ギュッとギュッと、夜9時半ごろ思いを込めて握っていました。
寝る前、そのおにぎりを一人で頬張る若小菅。それも努力です。

若小菅は、今場所前から夜の自主トレにも姿を見せるようになりました。場所中も時間の許す限り続けていました。その努力が勝ち越しにつながりました。

7月場所も勝ち越しましたが、その時は最後の一番は不戦勝でした。
今場所はしっかり7番相撲をとり、自分で掴んだ勝ち越しです。顔から落ちた日も、背中が反り返った日も、何が何でも手をつかないという強い意地が見えました。
今場所の若小菅の勝ち越しは、涙が出るほど嬉しかったです。

これからも"心"を大切にするお相撲さんでいてください。一番後輩ですが、あなたの相撲に対する心は皆んなの見本です。


若藤岡
【3勝4敗】

西岩部屋で、ひとり勝ち越しならずでした。
いつも良いところまでいくのですが、あと一番がなかなか出ません。

力士たちは、取組が終わり、部屋に帰ってきますと先ず報告に上がってまいります。

負け越しが決まった日、若藤岡が帰ってまいりました。階段を上がってくる下駄の音ですぐにわかります。足取りは重く、途中で足音が止まったりまた聞こえたり。
ようやくチャイムが鳴りました。
玄関先で両拳をつきます。

「ただいま場所から戻りました」

絞り出すような声でした。
顔を上げた瞬間、見る見るうちに目が潤み、唇が震え、ぽとり、ぽとり、と着物の襟元に大粒の涙が溢れました。

おかみさんになり、部屋の力士が本場所で負けて悔し涙を流す姿を初めて見ました。
純粋で綺麗な涙でした。
貰い泣きしそうになるのを堪え、ティッシュを取りに行き、何枚も若藤岡に渡しました。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。」

涙が流れるほど悔しいのは、真剣に向き合った証拠です。

親方は若藤岡に、
「きつい事を言うようだけど、今回の結果は努力が足りなかったということ。悔しいと思ったのなら、今より努力をすればいい。」と諭しました。

その夜、稽古場に降りますと、汗だくの若藤岡がいました。顔は真っ赤です。悔しさをぶつけるように、四股、てっぽう、すり足をひたすら繰り返しています。
その場にいた若野口が筋トレを終え大部屋に引き上げたあとも、若藤岡は一人で続けました。
水も飲まずに休むことなく、てっぽう柱を突く音が稽古場に響きます。

私は親方を呼んできました。
若藤岡はやっと手を止め、一旦休憩です。
親方と私は上がり座敷、若藤岡はてっぽう柱の横に立ち、親方がいろんな話をしました。
「はい」「はい」と若藤岡は目を見て返事をします。

その後も、消灯時間ぎりぎりまで、四股、てっぽう、すり足は続きました。

親方は若藤岡は真面目に稽古をしている。
大化けするから大丈夫。
今は地力をつける時、ただそれだけのこと、と言います。
次の場所、大阪は、若藤岡の故郷です。
悔しさをバネに、今まで以上に稽古を積み、努力を重ね、雪辱を果たしてください。


この写真は
初場所5日目、勝利後の若藤岡と若小菅です。
キラキラと輝いています。
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また良い顔を見せてください。




もうすぐ2月。
お陰様で西岩部屋一周年まであと数日となりました。
一年あっという間です。
日々の応援、心より感謝申し上げます。