時系列を追って、撮りためた写真と想い出を振り返ってまいりたいと思います。
三月の大阪場所後、大阪出身の若佐竹、若松永、若藤岡はそれぞれ実家で休暇を過ごしました。
宿舎に残った人数を数え、「よし!」と親方がレンタカーを借りてまいりました。
ハイエースで奈良へ出発です。
力皇さんを前にいたしますと、親方は普段は決して見せないような直立不動の姿勢になり、「はい!」と入りたての新弟子のように返事をし、汗をかいています。
入門当初、一番厳しく御指導いただいた先輩とのことです。
奈良には有名なラーメン店がたくさんあります。「彩華ラーメン本店」も「天理スタミナラーメン本店」も「麺場 力皇」のすぐ側です。
以前、お伺いしたことがございます。
「どうして、こちらにお店を構えられたのですか?奈良で一番の激戦区ですよね。」
力皇さんのこたえはこうでした。
「だからやん。勝負して勝つために。」
その言葉は純粋にとてもかっこよく、どの世界でもこの気持ちを持っている人は強くなる。挑戦し続ける事は素晴らしいと感銘を受けました。
ご馳走様でございました。
いつか浅草の西岩部屋にも遊びにいらしてください。
皆んなが作ったちゃんこを食べてください。
お腹も満たされ、次の移動先は、
相撲神社です。
親方が、相撲神社について、一つ一つ説明します。
この日は、土俵がブルーシートでおおわれておりましたので、ここから2枚は、現役時代に若の里と2人で相撲神社を訪れた時の写真です。
相撲神社は、当時の都、奈良が一望できるほどの高台にあり、とても静かで不思議な空気の流れる場所です。
当時、野見宿彌と当麻蹴速が相撲をとった土俵があった場所だけが未だに薄っすらとしか雑草が生えないという逸話も残っています。
当時、野見宿彌と当麻蹴速が相撲をとった土俵があった場所だけが未だに薄っすらとしか雑草が生えないという逸話も残っています。
鹿せんべいを持つ親方に鹿たちが集まってきました。
右手に親方の鞄と自分の鞄、左手には鹿せんべいを持って逃げ回っています。
鹿が!鹿が追いかけてきます!と叫んでいます。
力士たちは、上手に鹿せんべいをあげていました。
道中、立ち寄ったお店で購入した、奈良名物「柿の葉寿司」を、奈良公園のベンチに座って皆んなでいただきました。
「麺場 力皇」
「相撲神社」
「奈良公園」
3月26日(火)
レンタカーで巡る奈良の旅でした。