西岩部屋おかみさんブログ

大相撲西岩部屋の備忘録として利用しています。【公式twitter】https://twitter.com/nishiiwabeyaです。

初日を迎えるにあたって

1月11日金曜日
初場所前々日

力士たちは休養日でした。
朝稽古はありません。

親方は審判部ですので、初場所前々日のこの日は、朝から、取組編成会議でした。
その後は審判部からとして、墨田区亀沢の野見宿禰神社での神事に参加させていただきました。

東京での本場所前々日には東京都墨田区野見宿禰神社日本相撲協会の幹部の方々、審判部や相撲茶屋関係者の方々が出席して、出雲大社教神官によって神事が執り行われます。
東京場所の前々日には、毎回必ず行われているそうです。

『相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのがこの神社の起こりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず相撲協会の神事が行われています。
境内には昭和27年(1953)に相撲協会によって建てられた歴代横綱があり、その1基には初代の明石志賀之助から46代朝潮太郎までの名前が、もう1基には47代柏戸剛以降の名前が刻まれています。』

(東京都寺社案内より引用)



野見宿禰神社の写真です。
これは2017年9月場所前に親方と訪れた時のものです。この頃は、まだ西岩部屋もなく、若佐竹と若野口を田子ノ浦部屋さんに預かっていただいておりました。
何も出来ませんが、せめて二人の本場所15日間の安全を祈願して、東京場所の時は足を運んでいました。
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1月12日土曜日
初日前日

力士たちは場所前最後の朝稽古です。
親方は朝稽古の途中で席を立ち、両国国技館へ。
土俵祭です。

土俵祭とは立行司が祭主となり、祝詞を奉上し、供物を捧げて場所中の安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈念するものです。
土俵の中央に穴を開け、塩、昆布、するめ、勝栗、洗米、かやの実などの縁起物が沈められます。
理事長、審判部の親方衆、三役以上の力士、全行司、溜会幹部らが出席して行われます。』
日本相撲協会公式ホームページより引用)
土俵祭の様子を現場の方から頂戴いたしましたので、添付させていただきます。
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神聖な空気が画像からも伝わってまいります。


西岩部屋では朝稽古が終わる頃、
国技館では土俵祭が終わる頃、
空からふわりふわりと...
東京に初雪が降りました。


力士たちは朝稽古の汗を流し、身支度を整え、稽古場に一列に並びます。
親方も、土俵祭から帰宅後、一息つく間も無く、稽古場の上がり座敷の指定の座布団へ腰を下ろします。

午前11時半、触れ太鼓が回ってきてくださいました。

触れ太鼓とは
『物事を人々に広く知らせるために打つ太鼓。特に相撲で、初日の前日に、呼び出しが太鼓をたたきながら興行が始まることを町中に触れ回ること。また、その太鼓。』
デジタル大辞泉より転載)

口上は決まっています。
中入り後の取組を順に呼び上げ、

最後に『ご油断では〜詰まりますぞぇ〜』とあります。

昔は席が決まっていませんでしたので、相撲を観たい人は早く行った人から前の席に座りました。
油断していては席が埋まってしまいますよという意味なんだそうです。




こうして、ここには書き記しきれませんが、力士たちの土俵の安全を祈願し、毎場所多くの方々がご準備してくださっています。





初場所前の最後のトレーニングの後、親方が力士たちに言いました。
「自分は引退が迫っていた頃、一場所、いや、一日も休めない、怪我をして休場したらもう終わり。だから腕の筋肉が切れて真っ青になっても、痛みで眠れなくても、テーピングで隠して土俵に立ち続けた。」
「引退が近づくと、なんとか一日でも長く相撲をとりたいと思うものなんだよ。」
「若いからまだわからないかも知れないけど、、、いずれそう思う日が来る。」
「命を懸けて土俵に立ちなさい。」

皆んな真剣な表情で固まっていました。




相撲の神様、
裏方さん、
近しい人たち、
皆んなが守ってくれています。
今場所も全力で頑張ってください。