西岩部屋おかみさんブログ

大相撲西岩部屋の備忘録として利用しています。【公式twitter】https://twitter.com/nishiiwabeyaです。

自主筋トレ、その後

夜8時から9時過ぎ、
西岩部屋の1階の稽古場の窓から明かりが漏れています。自由時間を削って筋力トレーニングをしています。

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若中谷
九州場所後、御当地場所だったこともあり、若中谷を応援したい、紹介したい、写真付きの記事として取り上げたい、とお声が掛かりました。
力士の肖像権は日本相撲協会にあるため、一度親方のもとにお話がまいります。
親方は考え込み、渋い顔をして、今は見送る決断を致しました。

自身の過去と重ね合わせているのだと思います。
若の里にもそういう話は節目節目にありました。
青森の地元の方々は、若の里の活躍を大変に喜んでくださって、御厚意でいろいろと動いてくださいました。

親方は自伝著書『たたき上げ』の中で、新十両で優勝した21歳の時のことをこう振り返っています。



『場所後は青森に"凱旋"しました。弘前後援会も大いに盛り上がり、青森県知事に、優勝報告も兼ねて、表敬訪問しようということになりました。
後援会の方々とともに挨拶に行くと、県庁の方から「明日は幕内優勝した大関貴ノ浪関が来るんです」と言われました。その瞬間ハッとさせられました。
私が十両優勝した同じ場所で貴ノ浪関は幕内優勝。
十両で優勝したくらいで、県知事に挨拶に行くなんてみっともない。」と大恥をかいたと思いました。』
(『たたき上げ』大空出版 79頁より引用)




もう一度、出直してこいと言われてるような気がしたそうです。

親方は若中谷の日々の努力を一番間近で見ています。
若中谷ならもっともっと上にいける。
そう信じているからこそ、今は厳しい判断となりました。
もっともっと上に行けば、九州の方々が若中谷に再びお声を掛けてくださるでしょう。
そのときに、
「あのときはまだ序二段でしたのでせっかくのお話をお断りして申し訳ございませんでした。お陰様でここまで昇進いたしましたので御挨拶に参りました。」と、羽織袴に雪駄を履いて、凱旋すればいい。
その日は遠くないのだからと、親方は若中谷を激励します。

本音は、まだ序二段の若中谷をここまで応援してくださる地元の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。親方自身も若中谷の成績を私の前ではそれはそれは物凄く褒めています。
今年3月の入門からここまで全て勝ち越しているのですから。

ただ、ここで一旦満足してしまうと、若中谷のために良くないと思い、高い志を持って欲しいが故の、厳しい判断なのです。

これには賛否あるかと思いますが、若中谷は親方の目をまっすぐ見て「はい」と納得してくれました。
若中谷の夢は入門時も今も変わりません。
横綱になること』です。

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若野口
正直、親方もとても驚いています。
あの野口が!と笑いながらもとても嬉しそうです。
三日は続いて欲しいなぁという親方の冗談も、良い方向に外れ、若野口は九州場所からほぼ毎晩、夜、土俵で筋力トレーニングを積んでいます。
もともと力士らしい体型です。
そこに筋肉が付いてくると、どんな体になるかとても楽しみです。
"筋トレは、やった分だけ返ってくる"
親方は現役時代いつもそう言っていました。

先日、親方もブログに載せていましたが、下の写真は今の若野口の体です。
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ここに僧帽筋三角筋がつけば...
筋トレによって、自分の体が変わってくることで努力の面白さを感じてほしいと思います。




背伸びしてみてください。
背伸びした場所は、きっと自分が本当はこうなれたらいいなと憧れていた場所です。

できないこと、やらないことを『自分らしさを守るため』と思わずに、こうしてみたらどうかな?と教えてくれた人に耳を傾け、一度学ぶ姿勢をつくってみてください。
『ありのままの自分でいいんだ』というありのままはそんなことでは崩れません。

どんな世界でもそうですが、
できない自分を、やらない自分を、今このままでもそこそこできているからこれでいい、と思ったところで成長は止まってしまいます。


背伸びした場所は最初はしんどいです。馬鹿らしいと思ったとしても、何日か我慢の日々を続けてみてください。きっと慣れてきます。
それが身につくという事。
そうすれば、周りの景色が変わります。
努力を楽しもうと思う姿勢が挑戦です。
自分の人生を、切り拓いてください。





先日また一人、ちゃんこの後の夜の自由時間に土俵に降りて自主的にトレーニングし始めた力士がいます。

16歳の若藤岡です。
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「これから続けていく上で、気分が乗らない日もあるだろう。
そういう時は、休むのではなく、5分、10分と少しの時間でもいいから、とにかく続けてみなさい」と親方も助言と励ましの言葉を送ります。
続けることが我慢や努力に繋がる。精神が鍛えられる。体より先にまずは精神を鍛える。
それが大事なんだということを諭していました。

親方が作った夜食を頬張りながら、「はい!」と真剣に頷く若藤岡。

大阪に住む若藤岡のお母様からは、この日、ハムの詰め合わせが届きました。
若藤岡に「お母様から届いたよ、ありがとう」と伝えますと、若藤岡が教えてくれました。
毎年お正月には、いとこ達と集まって、皆んなでそのハムをパンに挟んで食べるそうです。
それがとても美味しいのだそうです。
今年は初めて親元から離れて相撲部屋でお正月を過ごします。
西岩部屋でもパンに挟みますね!
たくさん食べてまだまだ体を大きくしてください。



そして一昨日、
写真は無いのですが、若小菅も夜の自由時間に自主的に筋トレをしたそうです。若野口がそう教えてくれました。
若小菅は食べることも、とても頑張っています。
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ちゃんこの後はいつもポーンとお腹が前に突き出るほど大きくなっていますし、「うっ」と苦しそうにしている姿もしょっちゅう見ます。
食べても食べても太りにくい体質なのだと思うのですが、それでも、会う人会う人に「食べてるか?たくさん食べて」と励まされ、その度に笑顔で「はい」と応えています。
苦しいだろうなと思いますが、気持ちは折れることなく毎日しっかり食べ続けています。
先輩たちとともに筋トレも行ったことを聞き、とても前向き姿勢に感動いたしました。
入門当初は、規定の67キロに満たない体重でした。
親方が、裏方さんという道もあるんだよと言いますと、「力士になりたいです」と力強く答えました。
体が大きくなれば、若小菅は大勝ちする。
親方は粘り強い若小菅の相撲を大変評価しています。





急に強くはなれません。
今幕内で活躍しているお相撲さんたちも、元々強かったわけではありません。

親方が育った旧鳴戸部屋には、70キロで入門し、155キロまで体重を増やし、関脇まで昇進したお相撲さんもいます。

親方よりも歳は10歳も下ですが、強くなるためにはどんな我慢もして、毎日必ず「お願いします」と向かってきて、昼すぎまで涙や血を流しながら、多い日は100番以上稽古し、横綱まで登りつめた弟弟子もいます。

若の里も9度の手術を乗り越えて23年半、現役を全うしました。一度も辞めたいと思ったことはないそうです。
どんなに辛くても自分で選んだ道だからだそうです。

本気で頑張れば皆んな関取になるチャンスはあります。
自分に負けるもんかという気持ちで毎日を過ごしてください。
見る人は見ていてくれています。


努力を積み重ね、あなた達がいつか大きな決戦に勝ち、目標が達成された時、今までのすべての不満はきっと全部吹き飛びます。
力士になってよかった、努力を続けてきてよかった、という大きな喜びが押し寄せてくるでしょう。




夜8時から9時過ぎ、
西岩部屋の1階の稽古場の窓から明かりが漏れていましたら、それは、自由時間を削って誰かが目標に一歩リードしている時間です。