西岩部屋おかみさんブログ

大相撲西岩部屋の備忘録として利用しています。【公式twitter】https://twitter.com/nishiiwabeyaです。

九州へ

10月22日
「こんにちは!」
大きく弾む声が3階の自宅まで聞こえてまいりました。
窓の外にいたのは若野口と若松永でした。
西岩部屋の前を歩く小学生たちに笑顔で挨拶をしていました。元気が良くて何よりです。
鍋や食器、バーベルや救急箱、流れ作業で荷物を積み込み、荷出しを終えて、親方と記念撮影です。
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若中谷の姿がありませんが...
この日は歯の治療でした。
親方にしっかりと報告に上がってまいります。
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10月24日
出発の朝6時、掃除開始です。
「この布巾で畳を拭いてもいいですか?」
兄弟子の若野口が率先して掃除をしてくれることで後輩も自分たちもしなくては、と掃除用具を手に取ります。一番年上の若佐竹もちゃんこ場を隅々まで拭き掃除してくれていました。
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若小菅は相撲教習所へ向かいます。


ひんやりと朝霧流れる雨上がり、
浴衣から着物へ、素足から足袋へと冬支度を整えて、いざ博多へ出発です。
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若中谷
いよいよ次は九州場所
福岡県八女郡広川町出身の若中谷にとりまして九州場所はご当所です。
3月に入門致しましたので、この九州場所が初めてのご当所場所となります。
厳しい愛情をたっぷりと受けて育ってきた若中谷は、最初から覚悟が違いました。
どんな事でも弱音を吐かず静かに休まず前を向いて取り組む姿勢に、見ていられなくなり「無理せずに、少し休みなさい...」と口を挟んでしまうこともありました。

ご実家のお父様の言葉が、若中谷の原動力となっています。
「晃がつらいと言って帰ってきても、家には入れない。帰るところはないと思って西岩親方の元で頑張れ。」
ここまで全て勝ち越して番付を上げ、西岩部屋の部屋頭となりました。番付が上がればどんどん強い相手と当たります。一番一番が先場所よりもさらに大変になりますが、成長した相撲をご両親やお世話になった先生方にしっかり生で見てもらってください。
「帰るところはない」と言ったお父様は、お母様とともに真っ先に九州宿舎に何かお手伝いすることはないですか?と訪ねてきてくださったことを親方から聞きました。
厳しい言葉の真髄を若中谷自身、理解していると思います。
浅草から出発する若中谷の大きな鞄には、今回も御両親から送られた御守りがしっかりと結ばれていました。


若佐竹
九州場所に向けての荷出しの日、重い荷物を3階から1階の稽古場に次々降ろしていって欲しいと親方が若佐竹、若中谷、若藤岡に頼みました。
「エレベーターを使ってもいい。荷物だけを乗せて、お前たちは階段で下まで降りて荷物を運ぶこと。いいか?エレベーターには荷物だけだぞ!」という親方の言葉を聞き、若佐竹は「おい!だれか俺に送り状を貼ってくれ。」と言ってエレベーターに乗ろうとしたそうです。
「ほんとにもう佐竹は〜」とやや呆れ顔で私に話してくれる親方の表情も含め、私は大笑いしました。
大阪出身の若佐竹。
しんどい作業の最中でも周りを笑顔にしてくれます。いつも部屋全体を明るく照らしてくれてありがとう。
"人を笑わせる"という最大の特技を持っています。これは誰にでもできる事ではなく特別な才能です。ふざけていても私は若佐竹を怒りません。なぜなら若佐竹は人を貶して笑ったり、人の欠点や失敗を笑ったりはしないからです。
そういうところは親方もちゃんと見ているはずです。

古見学に来られた方から「若佐竹が、く〜っと声をあげながら、きつい、しんどいという顔をしているのだけれど、その表情がきつさをなんだか清々しく楽しんでいるように見えて、今日はすっかり心を奪われました。」というようなお声をよく頂きます。
つらい時でも心で楽しむ姿勢。若佐竹らしいと思いました。

性格的にとても繊細な面も持つ若佐竹。
九州でも、自分自身も笑顔になれる毎日を過ごしてください。


若野口
携帯電話を見ていて、ふと若野口のお母様の文章に目が止まりました。
「今年は龍星お兄ちゃんからもプレゼントが届きました」龍星とは若野口のことです。
若野口に訊いてみました。
弟が5歳のお誕生日を迎えたそうです。
若野口は少ない自由時間を使い、浅草の商店街のおもちゃ屋さんまで行き、弟のために電車のおもちゃを買ったそうです。

「はじめて自分のお金で弟にプレゼントを買いました」

照れた口調でそう話してくれた若野口はとても優しい目をしていました。
最高のお給金の使い方です。
親方に伝えますと、「おお〜、ほんとなの?」と笑いながらも、しみじみと若野口の心の成長を喜んでいました。

部屋でも、兄弟子だからと胡座をかくことなく、弟弟子の面倒もいつも細かく見てくれています。
衣替えの朝、私は着物を着るのが初めての若小菅の様子を見に行きました。
大丈夫?と訊きますと、「はい、大丈夫です。野口さんが着方を教えてくれました。」とのこと。一度畳紙から出し、しつけ糸を取り、袖を通してみるところまで一緒にしてくれたそうです。
いつか、今度は若小菅が若野口にしてもらったことを見習って、後輩に着物の着方を教えてあげる日が来るでしょう。
後輩をよく見ていてくれてありがとう。


若松永
2つ先、3つ先の行動ができる子です。
親方と力士皆んなで雷門通りのお蕎麦屋さんに行ったときのことです。
注文したお蕎麦を運んできてくださる店員さんの姿に気付き、まず自分の目の前を片付けお盆を十分に置ける場所を作り、重いだろうなと気遣い両手を伸ばしてお盆を店員さんから受け取りながらきっちりお辞儀をしていました。
仲間の分が運ばれてきた際も、お湯呑みを持ち上げてお盆が置ける場所を空けてあげていました。
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15歳の若松永、
とても気が利きます。
親方が見てるから、という感じではなく自然に手が動いているのが分かります。
『相手側に立てる』
この事ができていますし、日頃から大人の私でも見習う点が多々ございます。
そしてとても素直です。親方の話をよく聞き理解し、小さなことであっても改めたほうが良い点はしっかり素直に改善に努めます。物事の解釈がとても早いです。
スポンジのように吸収力のある子ですし、親方もその成長ぶりに日々驚いています。


若藤岡
宅配業者のかたが集荷に来てくださったときのことです。若藤岡が対応してくれたようで、その伝票をすぐに三階の自宅まで持ってきてくれました。

「集荷来ました。これが伝票の控えです。荷物は○月○日に九州に到着するそうです。」

半年前の入門当初は、「誰が対応してくれたのかな?」「控えありますか?」「いつ到着するって言ってた?」こちらから質問していました。
今は何も尋ねなくてもこれだけの報告ができます。とてもしっかり成長しています。
九州へ出発の朝、親方と朝早く大部屋に入りますと、若藤岡はもう、頭に油をつけ、綺麗に櫛を通していました。
6月に名古屋入りする際、油をつけるのに少し時間が掛かり「待っててあげるから」と若松永に言われ、急いで綺麗に付け直したという経緯があります。
「今日は用意が早いね」と声を掛けますと、「遅れたくないんで」と。
あどけない笑顔でしっかりとした言葉を聞かせてくれました。成長を感じ、とても嬉しく思いました。
皆んなの草履をそっと揃えてくれている姿もよく見かけます。遠くに脱いである草履を揃える際は、必ず自分の草履を爪先で少し踏んで手を伸ばして揃えています。
もうすぐ16歳。
顔つきも最近一気に大人っぽくなってまいりました。これからの成長がますます楽しみです。


若小菅
10月25日をもちまして、相撲教習所の全過程を修了致しました。これもひとえにご指導くださいました先生方のお陰でございます。ありがとうございます。
真夏の暑い日も、雨が続いた秋の日も、足の怪我で実技の授業で土俵に入れない日も、毎朝遅刻することなく通い続けました。
本当によく頑張りました。
教習所で友達もたくさんできたようです。
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よく頑張った事はそれだけではありません。
10月24日に親方と兄弟子たちは九州入り致しました。
10月25日まで教習所がある若小菅はひとり部屋に残り、翌日、皆んなより一日遅れて九州入り致しました。

「浅草駅から羽田空港駅までは一本です。国内線を目指して歩くのよ。」
「はい、分かりました。」

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真新しい着物に身を包み、慣れない足袋を履き、一人で九州へ出発です。

若小菅はこの日、初めて一人で飛行機に乗りました。
広い羽田空港
着物で大きな荷物を抱え、間違えてはいけないという不安や心細さもあったと思います。
親方からも「小菅大丈夫かな」と何度も連絡が入りました。夜、無事に九州宿舎に到着。
九州の宿舎では皆んながすき焼きを作って若小菅を迎えてくれたそうです。

あとで大部屋を確認して分かったことですが、最後の最後にもう一度一人で部屋のお風呂掃除もトイレ掃除もピカピカにしてくれていました。相撲だけでなく、相撲部屋での生活もとても成長しています。





親方は引退後『たたき上げ』という本を書きました。自分でパソコンで一文字一文字打ち、半年掛けて書き上げました。文法の間違いがないかどうかだけを最終的にプロの方に見直していただいた正真正銘の自叙伝です。
m7J6oZ3NIp.jpg(両国 『NOREN』さんより許可を得て撮影させていただきました)


15歳、右も左もわからず真っ白な自分がどうたたき上げられて育ってきたか。
この一冊に若の里の全てが綴られています。


今度は"たたき上げ"の部屋を自らの手で創り上げていきます。



力士たちは毎日頑張っています。
毎朝早起きして規則の多い生活に我慢を重ねて生活しています。
何故、その我慢が出来るのか。
プロの力士になるという事は、相撲だけを頑張る訳にはいかず、『相撲』に付随して、『相撲部屋の生活』も日々鍛錬を積まなければいけません。
規則に縛られる事に耐えられず部屋を出ていき、親方が引退届を提出すれば、もう二度と相撲部屋には戻って来られません。
あなたたちの日々の我慢も全部含めて、全てを愛おしく思います。
『付いてきてくれる子』そういう子には親方も自分の相撲の技術、知識、全てを教えたい、と言っています。



苦しくなった時、
『夢』と『我慢』を天秤にかけてください。
その時いつも夢が勝りますように。




九州でまた頑張って、皆んなが未知なる番付に辿り着けますよう、心より祈っています。