西岩部屋おかみさんブログ

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若の里最後の相撲から三年


2015年8月20日
青森県七戸巡業

若の里は巡業の土俵にいました。

急遽青森に呼ばれ飛んできた私も静かに土俵を見守ります。




話は遡ります。
2015年7月場所
若の里は西十両11枚目、4勝11敗の成績で千秋楽を終えました。
土俵に向かい感謝の意を込め、深く長い一礼。本場所の土俵に別れを告げた瞬間でした。

十両から陥落したら引退します」

晩年こう公言しておりましたので、周りで支えてくださる皆様も、これで引退だな...そう思われたと思います。

7月場所の休暇が明けても、何日経過しましても、引退届を出せずにいる若の里がいました。



すると若の里は、巡業に出たいと言いました。
9月場所の番付発表では幕下確定です。
ただ、8月の夏巡業はまだ自分は十両力士だから参加できる、故郷青森での巡業もある、どうしても行きたいと。

若の里の最後の我儘を協会巡業部の方々も快諾してくださいました。

青森七戸巡業は8月20日です。
お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、姪や甥、今まで青森で応援してくださった全ての方々にしっかり見納めてほしい、そんな想いが若の里にはあったのだと思います。


2015年8月18日
秋田にいる若の里にお兄さんから一本の訃報が入ります。
お父様、急逝。72歳でした。

巡業部の方々からは、巡業を休んでいいよと声を掛けて頂いたそうです。

若の里は休みませんでした。

お兄さんが、「よし!」と全て若の里のために予定を調整してくださいました。葬儀の日程は若の里の青森巡業後にしようと。夏場でしたがお父様を必死に冷やし、若の里が来るまで待ってくださいと皆に伝えてくださいました。
急遽私が青森に飛んだ理由はその為です。
「俺の紋付と袴を持ってきてほしい」と絞り出すような声で言われたこともはっきりと覚えています。


2015年8月20日
青森七戸巡業
この日の進行表は異例でした。

『本日の特別取組』として若の里の名がありました。
勢いのある若手力士、遠藤戦が組まれました。
相撲も好きだし土俵外の振る舞いも謙虚で好きだと若の里が普段から名前を挙げています。
巡業には『髪結い実演』という演目があるのですが、ここにも『若の里』とあります。床山さんは、若の里の髪を入門当時からずっと結ってくださった床鳴さん(現 田子ノ浦部屋)です。若の里も絶大の信頼を寄せております。

これだけ特別扱いしていただいて、あの時は本当に感謝しかないと、今でも当時を振り返ることがあります。

これが最後の土俵です。

最後は得意の上手投げ。
巡業ということもあり、遠藤関が花を持たせてくださいました。

もう一人、
本当の花を持たせてくれたのは、弟弟子の稀勢の里関です。
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力士『若の里』はこれで見納めです。




巡業会場からまっすぐ実家へ向かうはずでしたが、若の里は運転してくださっている方に、「山をまわっていただけませんか」と言いました。


いろいろなことがあり過ぎて、気持ちの整理がつかなかったのかもしれません。

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実家に到着した若の里は、自分が着ていた浴衣を脱いでお父様に着せました。
この浴衣はその年に反物から仕立てたばかりのまだ新しい浴衣です。
「かっこいいだろ、若の里の浴衣だぞ!と天国で自慢してくれるかな」
そう言って家族みんなでお見送りしました。


巡業を終え、9月場所の番付発表の前日、若の里は協会へ引退届を提出いたしました。
23年半の相撲人生、
完全燃焼です。

若の里 当時のInstagramより)
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あれから三年。
今、若の里改め西岩は、部屋を持ち、弟子を帯同させ、また夏巡業で東北に帰ってまいりました。
土俵下で審判を務める姿、日々親方として弟子を指導する息子を、きっとお父様は、あの浴衣を着て見守ってくれているはずです。



合掌。